運転代行 芦別ヘルパー

L松川は、現在の運転代行業を始める前に置戸町にある木材会社で工場長まで勤め上げた後芦別に帰郷し、昭和53年に芦別ヘルパーを創業する。
昭和46年に由紀さんと結婚したL松川は、二人で毎日明け方まで酔い客を送り届ける過酷な業務を続けて今日の基礎を築きあげた。
二人の息子さんは独立し、平成4年に新築した現在の事務所兼住宅に二人で暮らす。
運転代行業が認知されるよう全国運転代行協会の設立に奔走し初代の役員を務めた。
現在の営業時間は午後8時から午前2時まで。4名のアルバイト青年と共に酔い客を送り届ける。営業範囲は、富良野、滝川、砂川、深川にまで及ぶ。

炭鉱が閉山する前は、景気が良く数年前までは活況を呈していたが最近の不景気は業績にも影響。
今夜も奥様と二人三脚で酒場を駆け巡る・・。

運転代行 芦別ヘルパー

滝澤ベニヤ株式会社

L滝澤の父、重亀氏が昭和11年に現在地にて創業。

平成18年には、創業70周年を迎えた市内でも有数な老舗企業。
戦時中はプロペラ機用の合板の生産も手がけたそう。昭和39年に富良野工場、42年に旭川工場を開設し、現在の3工場体制となる。

芦別工場は単板、他は合板の生産と各工場で用途別に異なる品目を生産。主な製品は、版画用の板、家具や床材の部材、紙製品の製造に使われる木型等、多種に及ぶ。

以前は数十社もあった同業者は、現在は道内で4社しかない。厳しい生き残り競争に勝ち抜くため全社一丸となって、業務改善、省力化に取り組み、昭和47年に120名の社員が今では40名で運営する。

販路は四国と沖縄を除く全国に及ぶ。過去に何度も税務署より「優良申告法人」表彰を受ける。
昨年、息子さんの貴弘さんが後継者として入社。現在修行中。
将来が楽しみな会社。

株式会社 芦別モータース

業務は自動車整備部門とガソリンスタンド、プロパン販売の燃料部門新車・中古車販売部門にわたり、ご子息の大樹専務はじめ社員30名が坂井社長を支える。

整備部門だけでも市内と赤平に1600件の顧客を抱える。
最近の問題点は燃料価格の乱高下と人口減少による車の減少とか。
しかし、他社にない中古車の長期保証や誠実な対応により、社訓にあるような「お客様に喜ばれ愛される企業になろう」、「お客様、社員、会社が幸せになろう」を合言葉に地域最強店を継続している。

株式会社 芦別モータース

有限会社 髙砂燃料

L髙砂の父昌康氏(ライオンズOB)が、昭和45年現在地にて創業。
昭和63年に法人化。L髙砂は高校卒業後、昭和48年10月に半年の修行後に入社。
現在は兄でもある社長の裕司氏とともに専務として会社を牽引する。

社員は事務担当の社長の奥様と社長の子息大祐さん(JCマン)、配送担当の北さんの計5名で市内の約800件の得意先を守る。
業務は灯油、プロパン、関連器具販売とメンテナンス。

L髙砂は昭和53年に奥様の準子さんと結婚。長女は嫁ぎ、次女は社会人。燃料販売は、プロパン6割、灯油4割。昨年から続く燃料価格乱高下の折り、代金回収に頭を痛める日々が続く。

年々人口減により所帯数が減少する中、同業他社には見られない親切で小回りのきく、お客様本意のメンテナンスで限られた顧客を守り抜いている。
当面のライバルはオール電化の住宅が増加している事。

株式会社 定田印刷所

先代が現在地にて昭和13年に創業。70年の歴史を誇る老舗。昭和39年に法人化(株式会社)。社長はL定田の兄、聡氏。

L定田は常務取締役として、主に営業活動に専念し、官庁や企業を駆け回る毎日。4人の息子さんを育て上げ、奥さんの修子さんは印刷現場で奮闘。人もうらやむおしどり夫婦である。

聡社長、L定田夫妻と3人の職人技術者と会社を切り盛りする。
得意先は市内、赤平、札幌方面に官庁や企業50件余を抱える。

業務の性格上、年末や年度末に仕事が片寄る。最近は人口、企業共に減少する中、IT化が進み印刷需要は低下。売り上げ確保に今日も駆け回る。

株式会社 定田印刷所

有限会社 小塚新聞販売所

L小塚の父親(健在)が昭和40年頃、野花南で新聞販売所を開業する。L小塚は小学校4年生頃から新聞配達を経験した。

昭和53年に現在地に、自宅兼作業所を新築移転。平成2年、L小塚が故郷に戻り、家業を法人化し、現在は代表取締役を務める。幸恵夫人とは昭和59年に以前の職場で結婚、2人の男の子に
恵まれ、現在は一人は社会人、もう一人は学生とのこと。

北海道新聞、道新スポーツを市内3,400戸に毎日朝夕届ける。シェアは50%に達する。配達を受け持つアルバイトは60名余。
男性社員は朝夕各々4時間出社し、昼間は女性社員と幸恵夫人が仕事をこなす。

新聞社は夜10時に原稿締め切り、編集後11:30印刷開始。
一時間で印刷終了し各地に配送、芦別には午前2時30分に到着。

有限会社 小塚新聞販売所

株式会社 大北部品

風連町で生まれ育ったL尾矢は、昭和37年共栄自動車工業㈱芦別支店に入社。各地の支店に勤務後、昭和47年に芦別支店長となる。

平成4年に退職し㈱大北部品の社長に就任。現在、2人の社員と共に経営。昭和47年に結婚した敏子夫人との間に一男二女に恵まれ全員結婚独立し、各地で活躍している。

地元芦別は赤平・富良野方面に整備工場、運輸業、個人顧客等120件以上の顧客をかかえる。ホームセンターと競合しない独自の専門路線をとり、昨今の不況の中、ここ数年横ばいの売り上げを確保している。

株式会社 大北部品

有限会社 インテリアはやし

昭和23年、L氏の父・故 林 力氏が野花南町で創業。
当初はイ草の生産を農家に委託し、畳表を製造。
次第に畳の一貫製造に発展させた。
昭和57年、現在地に社屋、住宅、畳工場を建築、平成3年に(有)インテリアはやしを設立し、L林は社長に就任。
現在は、畳の製造、内装、クロス、ブラインド、カーテン等工事一式を施工。
最愛の奥様、美智子さんとは昭和47年に結婚。当時は人口も多くずいぶん景気がよかったそうです。
住宅の洋風化により、畳の需要が減少し同業者や畳職人が激減しているとか。本物そっくりの人工畳表の登場で、畳の寿命が延びているのも一因。
住宅の高級化により、お客の嗜好に合わせた高度なインテリアデザインの技術が要求される時代。さらなる業務の発展にチャレンジを続けるL林。美智子奥様と名職人の水本さんとの3人4脚で芦別随一のインテリアデザイン会社を目指す。

有限会社 インテリアはやし

株式会社 丸光伊藤興農園

L伊藤良作の父、光雄氏が農業をしていた滝里から移って現在地にて昭和49年に創業する。
当時から肥料、農薬、農業資材を販売。昭和61年に現在の住宅兼社屋を新築。

米の販売が自由化されだした頃、平成5年に特定米穀集荷業者に登録し、本格的に米の集荷と販売を始める。
1年前に結婚した子息の靖崇さんが昨年帰郷して、現在父の元で修行中。

得意先の農家は市内、富良野、赤平に300軒ほど。
肥料、農薬等の販売後の代金回収には、春に販売して秋の収穫後とか翌年の秋とか、途方になく長い期間を要す。
回収には現物(米)でいただくとか。優良経営の成せるワザですね。
農業を取り巻く環境は厳しさを増しますが、靖崇専務と3人4脚で成長を続けることでしょう。
芦別の基幹産業の農業を他の関連Lメンバーと共に頑張りましょう!

株式会社 丸光伊藤興農園

石黒花園

代々稲作を営む父親が副業として始めた「花の栽培」を、脱サラして帰郷し企業に発展させたL石黒。
北海道鉢花品評会にて毎年、シクラメンやポインセチア等で金賞など上位に入選。年中それぞれの季節に、多くの鉢花を生産し、近郊のホーマックやスーパー各店、道の駅「つばさ農園直売店」等にて販売。

饒舌な語りで当クラブの人気者だが、市の教育委員を努める真面目な一面も。
目下の悩みは、高騰する燃料価格。毎夜予想最低気温を見て青ざめる日々とか。
昭和38年>>石黒久行、水稲農家の副業として「石黒花園」を設立。
昭和57年>>次男・石黒政司Uターンで後継者として就農。
昭和61年>>第一号鉄骨ハウス建設、以後規模を拡大。
平成10年>>法人化して「有限会社石黒花園」を設立。
現在、鉄骨ハウス3棟、120坪ハウス2棟、50坪ハウス11棟で各種の花を生産販売。従業員は9名。

石黒花園

有限会社 おおやま

ふとん一筋に36年、奥様のひろ子さんと家業を企業に発展。
取次協力店を空知、上川、留萌管内に80店持ち、息子さんの峰継さんが営業に走る。空知唯一のふとん丸洗い工場を持つ。
店舗での寝具販売、葬儀等の貸しふとんやオートキャンプ場、合宿の里へのふとんリースを手がける。
全国ネットの、全国介護環境整備協同組合のメンバーで広域の同業者のリーダー格として「ふとん丸洗い」を一手に引き受けている。

今年(平成19年)ふとん店創業36周年、芦別店開店25周年、法人設立23周年を迎えます。

有限会社 おおやま

有限会社 阿部建工

L野崎は、一級建築士・一級施工管理技師の資格を持つ建築のプロである。
28年前、芦別に戻り東北建設に入社後は芦別中学校・啓成中学校等、市内の多くの学校を建てる。
平成13年に退社して一人立ちを目指して(有)阿部建工に入社。15年には社長に就任。公共事業は5%以下とし、主に個人注文住宅の専業となる。
市内及び近郊で多くの豪邸を手がけ、技術に裏付けられた営業活動により大手ハウスメーカーにはない魅力ある提案力により、客が客を呼ぶといった
好循環を産み、年々業績を伸ばしている。
今年春より息子さんが帰郷し、同社にて大工を修行中とのこと。

有限会社 阿部建工

株式会社 芦別RICE

19年前、日本で最初に産業用無人ヘリコプターで防除作業を始めた時のメンバーの一人。平成17年3月に芦別スカイウイングを設立し、その後仲間のL梶野・L戸邊が独立した後もグループとして活動している。
現在、グループで18機の機体と32名のオペレーター(有免許)を擁し南は九州、熊本から北陸、関東、東北、北海道全域にわたり6月から(稲)11月(麦)まで、およそ2万ヘクタールの防除を請け負うまでに成長。
昨年、全国産業用ヘリコプター操縦競技会においてメンバーの一人が準優勝を飾る。操縦技術の教官を務められる指導員の免許を持つものが2名在籍。急成長中の企業体である。

株式会社 芦別RICE

有限会社 つばさコーポレーション

離農により空き地になった農地を有効活用するためビニールハウス栽培による野菜、果物(スイカ・メロン・とうきび・トマト・イチゴ等)の生産、販売を行っています。

本業の建設、産廃処理業から経営多角化の一環として設立、急成長を遂げる。

有限会社 つばさコーポレーション